某所で少し話題になったので、考えをまとめてみる。
※以下、ネタバレ注意
※以下、ネタバレ注意
週刊少年ジャンプ21・22号で、ルフィが考え無しにいい加減な料理を作った挙句、逆ギレしてそれを床にぶち撒けるという場面があり、それに対して不快感を抱いた読者の声をいくつか見かけた。
もちろん、ルフィの行動は決して褒められたものではなく、当然ながら非難されてしかるべきなので、その行為自体を擁護しようとは思わない。
では、なぜ議論になったのかと言うと、「バラティエ編であれだけ食べ物の大切さをテーマにしたのに、ギャグとはいえ、それを台無しにするような話を描いた尾田先生の意図が理解できない」という趣旨の意見に対して、私が尾田先生の意図を「忖度」しようとしたからである。
正直なところ、私自身、最初は似たような感想を抱いたのだが、何とか「尾田先生は過去のテーマを蔑ろにしたわけではない」という結論を出せないかと頭を悩ませた結果、それなりに筋が通っているように思える論理を捻り出せたので、ここでそれを整理したい。
要するにこの記事で言いたいのは、「尾田先生は決してバラティエ編のことを忘れてしまったのではない!」ということだ。
上記のような疑問が生まれた背景には、「食べ物を大切にする」というテーマが、ワンピースという作品全体に共通しているという前提があるわけだが、そもそも、それが間違っていると考えるべきではないだろうか。
つまり、「食べ物の大切さ」は、サンジ(やゼフ達)といったキャラクターの個別のテーマであって、「作中是」として描かれていたのではない、ということだ。
もちろん、ルフィの行動は決して褒められたものではなく、当然ながら非難されてしかるべきなので、その行為自体を擁護しようとは思わない。
では、なぜ議論になったのかと言うと、「バラティエ編であれだけ食べ物の大切さをテーマにしたのに、ギャグとはいえ、それを台無しにするような話を描いた尾田先生の意図が理解できない」という趣旨の意見に対して、私が尾田先生の意図を「忖度」しようとしたからである。
正直なところ、私自身、最初は似たような感想を抱いたのだが、何とか「尾田先生は過去のテーマを蔑ろにしたわけではない」という結論を出せないかと頭を悩ませた結果、それなりに筋が通っているように思える論理を捻り出せたので、ここでそれを整理したい。
要するにこの記事で言いたいのは、「尾田先生は決してバラティエ編のことを忘れてしまったのではない!」ということだ。
上記のような疑問が生まれた背景には、「食べ物を大切にする」というテーマが、ワンピースという作品全体に共通しているという前提があるわけだが、そもそも、それが間違っていると考えるべきではないだろうか。
つまり、「食べ物の大切さ」は、サンジ(やゼフ達)といったキャラクターの個別のテーマであって、「作中是」として描かれていたのではない、ということだ。
例えば、先のドレスローザ編において、ルフィはドレスローザ民やリク王を守るために戦ったが、それは彼らの非暴力という思想信条に共感したからではない。
むしろ、ルフィ自身はリク王達の思想とは真逆と言える、「暴力による解決」で、ドレスローザという国家を救ってみせた。
だが、一方で、そんなルフィの行動とはそぐわないリク王達の主義主張が、作中においては明らかに肯定的に描かれてもいる。
バラティエ編でのテーマも、これと同じことだとは考えられないだろうか?
サンジとゼフの絆の基となり、その後のサンジの強い信念となった、「食べ物を粗末にしない」というテーマ。
しかしこれは、ワンピースの世界観における共通善ではなく、あくまでも、「サンジ達にとっての正しさ」として尾田先生は描いていたのではないか。
すなわち、尾田先生は「食べ物を大切にする」という価値観自体は認めながらも、同時に、「全てのキャラが(例え同じ船に乗る仲間であっても)その価値観に縛られる必要はない」と考えているのだろう。
それはまさに、非戦を唱えるリク王を肯定的に描きながら、ルフィ達に暴力でドフラミンゴを倒させたことと同じ構図だ。
とはいえ、先に述べたように、食べ物を粗末にすること自体は、良識のある読者ならば不快になって当然の最低の行為である。
しかし、私自身も含めて、今回のルフィの行動にそこまで反感を抱かなかった読者も多いはずだ。
ここに、ワンピースという作品の「道徳的均衡」の妙が見られる。
自分の作った不味い料理を引っ繰り返したルフィに、周囲の仲間たちが一斉にツッコミを入れ、更にブルックにサンジの名を出させることで、ルフィの行動に対する「カウンター」として機能している。
ルフィの行動それ自体は許されざるものであるということを、尾田先生はちゃんと分かっており、周囲に咎めさせることでバランスを取っているのだ。
この手法が最も分かり易いのは、インペルダウン編だろう。
エースを助けるためとはいえ、大勢の凶悪犯を脱獄させたルフィの行為は、常識で考えれば悪行でしかない。
だからこそ、マゼランやハンニャバルといったキャラクターに、その「常識」を代弁させたわけだ。
主人公と反する価値観、物の見方を提示されることで、読者の視点は俯瞰的、客観的になり、「常識を弁えない主人公(とその作者)」ではなく、「二つの価値観の衝突」という作中の構図を見られるようになる。
口で言うのは簡単だが、これが実行できている作品は極めて少ない。
「奔放な海賊」というルフィのキャラクターを活かしながら、道徳的に均衡をとることで、多層的なストーリーを成立させる。
僅かなやり取りでしかない今週のギャグの中にも、ONE PIECEという作品がこれほどまでに壮大な世界観を持ち、かつ、世間から幅広い支持を集めている理由の一端を垣間見ることができる、と言えるだろう。
むしろ、ルフィ自身はリク王達の思想とは真逆と言える、「暴力による解決」で、ドレスローザという国家を救ってみせた。
だが、一方で、そんなルフィの行動とはそぐわないリク王達の主義主張が、作中においては明らかに肯定的に描かれてもいる。
バラティエ編でのテーマも、これと同じことだとは考えられないだろうか?
サンジとゼフの絆の基となり、その後のサンジの強い信念となった、「食べ物を粗末にしない」というテーマ。
しかしこれは、ワンピースの世界観における共通善ではなく、あくまでも、「サンジ達にとっての正しさ」として尾田先生は描いていたのではないか。
すなわち、尾田先生は「食べ物を大切にする」という価値観自体は認めながらも、同時に、「全てのキャラが(例え同じ船に乗る仲間であっても)その価値観に縛られる必要はない」と考えているのだろう。
それはまさに、非戦を唱えるリク王を肯定的に描きながら、ルフィ達に暴力でドフラミンゴを倒させたことと同じ構図だ。
とはいえ、先に述べたように、食べ物を粗末にすること自体は、良識のある読者ならば不快になって当然の最低の行為である。
しかし、私自身も含めて、今回のルフィの行動にそこまで反感を抱かなかった読者も多いはずだ。
ここに、ワンピースという作品の「道徳的均衡」の妙が見られる。
自分の作った不味い料理を引っ繰り返したルフィに、周囲の仲間たちが一斉にツッコミを入れ、更にブルックにサンジの名を出させることで、ルフィの行動に対する「カウンター」として機能している。
ルフィの行動それ自体は許されざるものであるということを、尾田先生はちゃんと分かっており、周囲に咎めさせることでバランスを取っているのだ。
この手法が最も分かり易いのは、インペルダウン編だろう。
エースを助けるためとはいえ、大勢の凶悪犯を脱獄させたルフィの行為は、常識で考えれば悪行でしかない。
だからこそ、マゼランやハンニャバルといったキャラクターに、その「常識」を代弁させたわけだ。
主人公と反する価値観、物の見方を提示されることで、読者の視点は俯瞰的、客観的になり、「常識を弁えない主人公(とその作者)」ではなく、「二つの価値観の衝突」という作中の構図を見られるようになる。
口で言うのは簡単だが、これが実行できている作品は極めて少ない。
「奔放な海賊」というルフィのキャラクターを活かしながら、道徳的に均衡をとることで、多層的なストーリーを成立させる。
僅かなやり取りでしかない今週のギャグの中にも、ONE PIECEという作品がこれほどまでに壮大な世界観を持ち、かつ、世間から幅広い支持を集めている理由の一端を垣間見ることができる、と言えるだろう。