ネオ天草のジャンプ感想日記

ジャンプ感想を主に書いています。

「カイドウの息子」ヤマト、本当は女性として生きたがっている説【ONE PIECE考察】

 本当に麦わらの一味入りしそうね。

 この第977話で初めて存在が明かされた時には想像もしてなかったわ。

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第985話『新鬼ヶ島計画』の感想はこちら。

neoamakusa.hatenablog.com

  カイドウの『息子』であり、光月おでんを自称する、カイドウの娘ヤマト。

 

 Twitterでの感想を見ていると、「男になった」彼女の事を性同一性障害のように捉えている意見も見受けられたが、ヤマトは「光月おでんが男だったから、男として振る舞っている」だけであり、「男になりたい」訳ではない

 その意味で、性同一性障害者とは全く別物だろう。

 

 実際、肩書の表記は「カイドウの娘」とはっきり書かれている。

 尾田先生にとって、ヤマトはあくまでも女性なのだ。

 

 作中での扱いを見ても、「自称:光月おでんの後継者」ですらなく、「自称:光月おでん」という皮肉っぽいプロフィールな辺り、どちらかと言えば光月おでんそのものとして生きる姿は作中非だと考えられる。

 今後ヤマトが自分なりの道を見つける展開となり、「僕」という一人称から女性らしい「私」になる可能性もありそうだ。

 

 と、いうのが第984話でヤマトの素顔を見た時の私の印象だったのだが、松原剛さんの第985話への感想の中に興味深いツイートがあった。

 以下、引用する。

カイドウ、ヤマトが自分を男だって言ってるから「息子」って言ってんだと思ったけど、そもそも「ヤマト」なんて名前付けてんだから、本人がおでキチになる前から、本人の意思や性自認とは無関係に、元々息子扱いしてたのかな?

 なるほど、これは目から鱗である。

 言われてみれば、光月おでんになりたいと言った娘をぶっ飛ばすようなカイドウが「光月おでんは男だから」という理由で男を自称する娘に律儀に付き合うわけがない

 順番が逆だったのだ。

 

 カイドウは自分の息子を跡目に据えるつもりでいた。

 しかし、産まれてきたのは「残念ながら」女子だった。

 諦めきれないカイドウはその娘に対して、幼い頃から息子として生きる事を強要し続けた

 

 カイドウの性格を考えても、そう考えた方がしっくり来る。

 

 おそらく、幼い頃のヤマトは男として生きることに苦しんだのだろう。

 だが、逆らえば父親に容赦無く殴られる

 周囲のカイドウの部下達も全員自分を「息子」として扱ってくる

 幼いヤマトは「男」という呪縛を振り払えなかった。

 

 8歳の頃、そんな彼女に転機が訪れる。

 光月おでんとの出会いであった。

 

 彼の自由で高潔な生き様に魅せられたヤマトは、光月おでんに憧れるだけに留まらず、『光月おでんそのものになる』事を志向するようになる。

 光月おでんになるならば、男として生きるのも、何も不自然なことでは無くなるからだ。

 

 そう、彼女は「父親の強要で男のフリをさせられている」現実から目を逸らす為に、「自らの意志で光月おでんを目指し、その当然の帰結として男になった」と言う物語に置き換えてしまったわけである。

 

 産まれた時から男として生きることを父親に強いられ、8歳の時に「父に従うわけじゃない、憧れた光月おでんになる為だ」と自らに言い聞かせて男として振る舞うようになり、「ワノ国の開国」という意義も知らない借り物の大義を生きる目的とする女性。

 

 ヤマトはまだ一度も、自由になった事が無いのかもしれない。

 

 だとすれば、彼女が囚われている「カイドウの息子」「自称・光月おでん」といった呪縛をルフィがブチ破り、本当の意味で自分として生きられるようになるイベントを経て、ヤマトが麦わらの一味の仲間入りを果たす可能性が高そうだ。

 

 一見、いま流行り(という言い方はあれだが)の性的少数派がテーマと見せかけて、その実、「跡継ぎの為に男として育てられた姫君」という古典的な物語に引き戻すのは、何ともONE PIECEらしいような気もする。