ネオ天草のジャンプ感想日記

ジャンプ感想を主に書いています。

ホラー映画嫌い

 書くことがないので、日経新聞で連載されている宮部みゆきさんの『迷いの旅籠』を読んで思いついたことなど。

以下、どうでもいい話注意
 『迷いの旅籠』では現在、「おくらさま」という悪霊についての話が語られている。
 その悪霊は元は孤児の身で、とある店に引き取られ大事に育てられたものの、何かにつけてその店の美しい娘達と容姿を比べられ続けた怒りから、死後、「店を禍から守る代わりに、その店の娘の命を一つ奪う」悪霊として何代にも渡り憑りつき続けたそうだ。

 非常にしょうもない。

 いやもちろん、おくらさま個人にとっては大きな憤りであり、苦しみだったのは理解できる。
 しかし、その程度の苦しみを経験した人間など、世の中にごまんといるはずだ。

 私がホラーやら怪談やらが嫌いな理由の一つがこれで、「その程度のことで悪霊になれるなら、世界は至るところ悪霊だらけになるだろ」と思うような動機の霊があまりにも多い。
 そいつだけが悪霊として異常な力を得ていることに説得力がないし、納得できない。


 貞子などは「生前から超能力者だった」という設定でその辺りの問題はクリアしているものの、私は『リング』という映画が大嫌いだ。

 なぜか?
 それは、「極悪人の貞子が何の報いも受けないまま終わる」からである。

 例えば貞子が自分を殺した父親だけを呪い殺すというのであればまだ理解できる。
 ところが、彼女は全く無関係の人間に対してまで呪いをかけ、陰湿極まりない方法で甚振り殺す。

 言ってみればこれは、通り魔と何も変わらないではないか。

 通り魔やら連続殺人犯やらが何の報いも受けないまま終わる映画はそう多くないのに、ジャンルがホラーになった途端に、通り魔同然の連中が勝ち誇って終わる映画が山ほど存在する。
 実に不愉快だ。

 このパターンで最悪だったのが『エルム街の悪夢』(私が観たのはリメイク版なので、原作はどうか知らない)で、児童らに性的暴行をはたらいた性犯罪者フレディが、被害者の親たちに焼き殺されたことを逆恨みし、悪霊と化して「かつて自分が暴行した被害者たち」を嬲り殺した挙句、退治されることもなく存在し続けるという終わり方だった。

 ふざけるなという話である。
 どちらかと言えば被害を受けた子供たちこそ悪霊となってもおかしくないのに、なぜ性犯罪者の霊魂だけがこの世に留まり、しかも謎のスーパーパワーを手にしているのか。

 こういった通常あり得ない悪党万歳みたいなストーリーが平気で罷り通るから、私はホラー映画が嫌いなのだ。

 一般にホラーに分類される作品でも、ゾンビ物や最後に怪物が退治されて終わる話なら大好きなので、世の中にはもっと「自我を持たない悪霊」、もしくは「悪霊が報いを受けて完!」という映画が増えるべきだと思う。

 ホラーの作り手には是非とも逆転裁判3を見習って頂きたい。