※以下、ネタバレ注意
==== 五条悟と言えば、現在のジャンプでは最もホットと言って良いキャラクターである。
ありがちな「頼れる兄貴分」の範疇に留まらず、序盤からの主人公の仲間でありながら、作中最強格という特異な立ち位置を持つ人物だ。
ここまで強力な味方キャラが側にいると、敵との戦いが容易になってしまうことから、いずれは姦計にかかって死んでしまうのではないかと憂慮している読者も多いことだろう。
だが、ここまでの五条悟の言動を見ると、「大きな喪失をもたらす頼もしい味方」どころか、「虎杖達に立ちはだかる最大の敵」となる可能性が濃厚となってきたように思えてならない。
そもそも、立ち上がりからして妙だった。
第5話『始まり』にて五条先生は、呪いの蔓延した廃ビルの中に子供が紛れ込んでおり、狡猾な東京呪霊がその子を人質に取ることを読んだ上で、釘崎野薔薇がどの程度イカレてるのかをテストする為に敢えて放置した。
更に、呪術高専の1話でも、明らかに小学生が呪いに取り込まれている状況を把握しておきながら、乙骨の覚醒を促すためにそれを静観している。
仮に、危機が迫った場合には自分が救出する自信があったとしても、生徒への「教育」の為にそのような危険に見知らぬ子供を巻き込むなどという選択は、通常の倫理観を持つ人間にはあり得ないものだ。
この時点で五条悟という人間は、一般人とはかけ離れた異質な思想を基に行動していることが分かる。
そして、第18話『底辺』にて、決定的と言える発言が飛び出した。
彼は呪術協会の上層部が「しょーもない地位や伝統のために塞き止めていた力の波が」押し寄せたことにより、身内の呪術師だけでなく、呪霊達までも強化されつつある状況を喜んでいたのだ。
仮に、これが呪霊達だけが強化される中で、呪術師の力が上層部によって塞き止められていたのならば、五条悟が喜ぶのもよく解る。
だが、実際にはそうではなく、上層部は呪霊の力をも抑え込んでいる。
呪術師も呪霊も等しく力が制限されている環境は、言うまでもなく一般世間にとっては望ましいことだろう。
仮にそれを維持し続けた呪術協会上層部の動機が「保身」であったとしても、結果として最適な社会を守っていたのだとすれば、それを責める謂れはない。
ところが、五条悟は「呪術師も呪霊も抑圧されている」状況に大きな不満を持ち、「呪術師も呪霊も解放される」ことを悦んでいる。
ここで思いだされるのが、呪術高専にて夏油が言った「強者(呪術師)が弱者(非術師)に適応しているせいで、霊長の進化が止まっている」なる主張である。
五条先生は、プロセスこそ違えど夏油と同じ主義主張を抱いているのではないだろうか?
たしかに、彼は夏油の『大義』を「イカレた思想」と看破している。
だが、これはあくまでも、「非術師を皆殺しにする」という目的に対しての言葉であった。
要するに、五条悟は非術師を皆殺しにしたりはもちろんしないが、「呪術協会の抑圧を取り払うことで、呪術師の強化=霊長の進化を促す」という野望を抱いていると考えられるのだ。
その為ならば、呪霊が強化される程度のリスクは許容する。
どんなに強力な特級呪霊が産まれ続けようとも、自分と『自分が育てた優秀な生徒達』が祓えば良いだけであり、その間に死人が出ても、それは『仕方のないこと』である。
生徒への教育の為に平気で幼気な子供を危険に晒す五条悟の根底には、こういった割り切った考え方があるのだろう。
例えるなら、呪術協会上層部が「地球の重力に魂を引かれた地球連邦」で、五条悟は「人類を真のニュータイプへと進化させようとするシャア」だと言えよう。
『多少の旧人類の犠牲』には目を瞑り、新たな人類である呪術師の発展を志向する作中最強の存在。
まさにラスボスと呼ぶに相応しい。
虎杖や、あるいは乙骨の最終目的は、狂気に染まった偉大なる師を倒し、五条悟という人間の魂を解放することになるのだと、私は予想している。