がっつりアニメ見てるので、今さら原作プレイする気にはならんよね。
【里中千枝】
どうやら自分は誤解をしていたようなのですが、シャドーが言っていることは「実際に心のどこかで思ったことがあるもの」のようですね。
2話で花村(表)が本当に小西先輩のことが好きだったと言っていたことから、シャドーはあること無いこと喋っているだけだと思っていました。
ならば、「花村は小西先輩のことが好きだった。しかし、一方で田舎暮らしに刺激が欲しくて小西先輩を口説いていた面もある」ということになるのかな。
千枝の場合は、「雪子を友人と思っていた。しかし、時には、雪子が自分に依存していることに、歪んだ優越感を持つこともあった」ってことでしょうか。
人の心は複雑で、時には褒められたものではない思いを抱くこともある。
それでも確かに、花村は小西先輩のことが好きだったし、千枝は雪子を友人として大切に思っている。
どちらも本当の自分だというのがペルソナのテーマなのかな。
正直、千枝には「え、そんなこと思ってたのかよ……」とちょっとヒいちゃったんですが、それは自分が一面的な心情描写しかしない作品に慣れすぎてしまっていて、人の心はそんなに簡単ではないということを忘れてしまっているだけなのかもしれません。
ペルソナにこそリアリティがあるのだと評価すべきである気もします。
ただ、綺麗な花村や綺麗な千枝と、汚い花村・汚い千枝(シャドー)にくっきりと別れてしまっていて、しかも、普段の描写は綺麗な部分しかないので、いまいち彼らが同じ人物であるという実感がないんですよね。
シャドーを受け入れた後に、「自分はこのように思ったこともあった」と、彼らの「負」の部分について語らせたりすれば「一人の人物の中に様々な感情がある」ことを納得しやすいのですが、「負」の部分は普段の彼らと全く言動が違うシャドーだけに語らせているので、「心の複雑さ」というのがあまり伝わってきません。
シャドーを受け入れる過程がサラッとし過ぎているのも一因だと思います。
【天城雪子】
真夜中テレビに映っていた雪子は、雪子のシャドーなのでしょうか。
ああいう風になりたいという願望があるってことなのかな。
なぜか鳴上たちは「霧の日までは雪子は死なない」と思いこんでいるようですが、山野アナや小西先輩が自身のシャドーに殺されたのだとしたら、既に雪子も死んでる恐れが強いと考えるべきなんじゃないのか。
実際、千枝は自身のシャドーに襲われ、鳴上と花村がいなければ死んでいたでしょうから、雪子だってそうなっているんじゃないの?
山野アナと小西先輩は何者かによって霧の日にテレビ世界に放り込まれ、霧の日に遺体が発見されましたが、彼女らを直接手にかけたのはシャドー(先週クマか誰かがそう言っていましたよね?)で、シャドーは霧の日ではなくとも出現する以上、「霧の日に遺体が発見された」のは偶然だと考えるべきでしょうに。
なぜ鳴上たちが「霧の日まで雪子は大丈夫」だと考えているのか分かりません。
ところで、最初に真夜中テレビに映っていた着物の人物が雪子ではないとすれば、あれは誰だったんでしょうか。
「着物」で思い浮かぶ人物といえば、演歌歌手の柊みすずですが。
しかし、千枝曰く、その人物の着物は雪子のものだったそうなので、違うかな。
あるいは「真夜中テレビは、テレビ世界に迷い込んでいる人が映ったものだ」という認識が間違いなのかも。
当初考えていたように、「次に死ぬ人物」が映る、予言のようなものであるのかもしれません。
【アルカナ】
アルカナってなんぞや。
ペルソナとは心を御する力。 心は絆によって満ち、絆によって育つ。
絆を手に入れたことで鳴上は魔術師のアルカナを手に入れたそうですが、アルカナがなんだか分かりません。
彼のペルソナ「ワイルド」は複数のペルソナを操れる能力で、鳴上は選ばれし者だとか。
アルカナがなんだか分かりませんが、とりあえず絆を作る度に、新しいペルソナが手に入りそうです。
そういえば、クマは鳴上のことを「先生」と呼んでいますけど、何で先生なんだ。
大した意味はない?