22巻でエレンは「『巨人化した王族と接触すれば、エレンでも巨人を操れる可能性がある』ことを兵団が知れば、彼らはヒストリアを犠牲にする」という懸念を抱いている。
それに対して私は『進撃の巨人』22巻感想とこれまでの疑問点 にて、「兵団が女王であるヒストリアを巨人にするなら、無垢の巨人ではなく超大型巨人を継承させる可能性が高い」こと、「よって、犠牲になるとしたらヒストリアではなく、超大型巨人の現在の持ち主であるアルミンである」ことを指摘し、エレンがなぜこの可能性に思い至らないのか疑問であると書いた。
しかし、この問題について頭を悩ませるうちに、もしかするとエレンの懸念は「ヒストリアにアルミンを食わせて超大型巨人にする」ことを念頭に置いているのかもしれないと考えを改めるようになった。
つまり、彼の言う「ヒストリアを犠牲にする」の内容とは、彼女を無垢の巨人に変えることではなく、「ヒストリアが超大型巨人の継承者となり、13年しか生きられなくなる」ことではないだろうか。
こう考えれば、エレンが上記のような当たり前の可能性にも気づかない不自然さも解消される。
ただし、もしそうだとすると、今度は別の疑問が浮かんでくる。
ヒストリアが継承者になるということは、即ちアルミンの死を意味するのだが、なぜかエレンはそれについては一切触れていない。
まるで彼にとってはアルミンの命よりも、ヒストリアの命の方がずっと重いように見えるではないか。
とはいえ、これは「どちらの方が大事か」などといった次元の問題ではなく、アルミンとヒストリアではエレンの中での位置づけが違うということかもしれない。
先のベルトルトとの戦いでも、エレンはアルミンを犠牲にして超大型巨人を倒すことを容認していた。
対して、エルディア人滅亡の危機を前にしても、ヒストリアを犠牲にする(寿命を13年に縮める)ことはできないでいる。
エレンにとってアルミンは、場合によっては人類(壁内人類)にその身を捧げるべき兵士という認識があるのに対して、ヒストリアはあくまでも「庇護」の対象なのだろう(女王に対して「庇護」はおかしいが、敢えて)。
だから、例え人類の危機が迫っていても、彼女の命を使うようなことはできない。
「困っている人がいれば、どこにいたって見つけ出し、助けに行く」というヒストリアの志を、彼女が果たせるようにすることこそが、自分たち兵士が戦う意義であると、エレンはそう考えるようになっているのかもしれない。