前から言われていることだけど、一度まとめておこうと思って。
【創造性】
帝王には創造性があり過ぎる。
地獄を筆頭として、ドヴェルグ帝国時代の遺産など、多くのものを創り出した。
「たましい」の無い獣には創造性が無いと言われているにも関わらず、これだけのものを生み出しているのだから、帝王には「たましい」があると考えるのが自然だろう。
その場合、同じく「たましい」を持った人間が属する司神、アトゥム・ガイア・リリスの四大神獣である可能性が高い。
つまり、帝王はリリスが母胎から解放した(とされている)三大主と手を組み、自らの母胎であるリリスを裏切ったことになる。
【「仲間」】
サタナキア陛下はメフィストフェレス陛下に向かって「お前たちとは種族は同じでも仲間ではない」と言ってのけた。
この台詞を単純に仕える主の違いを指していると考えることもできるが、もし帝王と三大主が別の司神から生まれた四大神獣だとすれば、その意味合いも大きく変わってくる。
ベールゼブブ陛下の「我らが古き肉」という台詞から、悪魔達は元は天肢であったと推測されているが、六王たちの原型もやはり天肢ではあるものの、彼らが感染した自我の大元たる帝王だけは別の種族ならば。
三派閥同士のいがみ合いと、六王が彼らに向ける視線は全く別種のものとなるだろう。
実際、悪魔達が派閥の垣根を越えてそれなりに協力し合っているのに対して、六王は他の悪魔に冷淡過ぎる。
魔界に共に住まうものとしての最低限の仲間意識すら六王は持ち合わせていないのだとすれば、納得がいく。
【サタナキアの卑下】
サタナキア陛下は度々悪魔に「たましい」や「創造性」が無いことを卑下するように語っている。
しかしながら、もし帝王も悪魔の一角、即ち「たましいの無い獣」なのだとしたら、彼の言い回しは主である帝王のことまで貶めてしまう。
実際、他の悪魔は(アスタロト陛下以外は)「たましい」を持たぬことを自虐的に語ったりはしていない。
それは主への侮辱に他ならないからだ。
帝王は「たましいの無い獣」などではないからこそ、サタナキア陛下はそうである自分達を卑下するのだろう。
主の特別性を称揚するために。