単に私がそういう展開が好きなだけなのだが。
※以下、ネタバレ注意
サボは自身がコブラ王を殺した英雄として世間の反乱分子達に扱われていたことについて、「革命の炎がそれで燃え上るのならば、良い」と語っている。
確かに、聖地マリージョアにて王を暗殺したことは象徴的な出来事であり、コブラ王を暗君に仕立て上げれば、反乱分子達の士気を盛り上げることになるだろう。
だが、革命を起こした各国の民衆達は、ルルシア王国の反乱軍のような穏健派だけではない。
打倒した旧王政の関係者をギロチンで処刑するような過激派も存在し、彼らはサボを神格化するようになっている。
サボの潔白が明らかになってなお、ドラゴンが渋い顔を続けているのは、この状況を内心快く思ってないからではないだろうか。
ドラゴンは世界政府という機構は残しながら、場合によっては海軍の良心派とも協力しつつ、現在の天竜人体制を打倒する形の革命を目指しており、あらゆる王政を転覆させようなどとは微塵も考えていない。
民衆が無闇に王族を敵視し、その殺害が肯定されるような風潮は望んでいないはずだ。
また、コブラ王殺害の濡れ衣を否定しないのであれば、彼の善政を知る世界の良心派知識人層からは、「革命軍とはこんな野蛮な連中だったのか」という目で見られることになる。
長期的に考えれば、サボの選択が革命の後押しになるとは限らない。
革命の機運の醸成を最優先にしたいサボと、あくまで穏当な形での革命を行いたいドラゴンとの間で微妙な意識のズレが生まれてしまってはいないだろうか。
今はまだ微妙な歪みであっても、それが今後拡大していった場合、革命軍の多くがサボよりもドラゴンに従うとは断言し難い。
ドラゴンは戦勝の報に喜ぶ部下を叱りつけたりなど、いっそ過剰なまでにストイックなところのある人物だ。
その姿勢は立派ではあるが、自らを巨大な権力に挑む正義の抵抗者と信じる革命軍の兵士にとっては、「勝利を喜ぶな」と自制を要求されることは、大きなストレスだろう。
内心、ドラゴンのその方針を世界政府に対する「甘さ」と捉え、不満を抱いている人間達が大勢いても不思議ではない。
「権力者共や、それに付き従う連中を殺して喜んで何が悪いんだ!」と考える革命軍の不穏分子が、神格化されたサボを担ぎ上げてドラゴンに反旗を翻すことがあり得ないと誰が言い切れようか。
もはや世間ではドラゴンよりもサボの方が革命の象徴となりつつある。
総司令官の首をサボに挿げ替えた方が、むしろ各国の革命の機運は盛り上がり、革命軍の後に続く民衆も増えるはず。
私が革命軍の兵士だったとしても、そう考えるかもしれない。
そもそも、王侯貴族や、それらを許す制度に対する憎悪は、サボの方がドラゴンよりも根深いだろう。
「例え今の王が善政を敷いていたとしても、後を継ぐ王もそうだとは限らない。王族だの貴族だの、そんなものがあるから差別は無くならないんだ。ドラゴンさん、貴方には世話になりました……だけど、おれは真の革命を成すために、あんたのことを越えていく」ドンッ
などと言い出さぬとも限らない。
「穏健派のドラゴンと急進派のサボが路線対立を起こし、革命軍が『総司令官派』と『参謀総長派』に分裂、血で血を洗う内ゲバへ……」
まあ、正直この漫画が善玉サイドのキャラにそんな悲惨な展開を用意するか……? とは思うけど、実際、過激派によるサボの神格化は明らかに異常なこととして描かれているし、ドラゴンの雰囲気が不穏なのも間違いないから、結構本当にそうなるんじゃないかという気がしている。
派閥争いが……見たいしね。