鎌倉殿の13人と比較していて、言語化できたので改めて。
私は『真田丸』が好きだ。
現在放送中の『鎌倉殿の13人』は真田丸以来の面白さだと思う。
そこで、真田丸以降の大河ドラマを順位付けしてみる。
真田丸≧鎌倉殿の13人(今後次第で越える可能性あり)>>>麒麟がくる(お駒パートで相当マイナス)>>>おんな城主直虎(直政編が特に良かった)>青天を衝け≧いだてん>>>>>>>>>>西郷どん
ここで改めて、なぜ私が『青天を衝け』に対してここまで低評価なのかを考えてみた。
例えば同順位の『おんな城主直虎』は、上記のように後半の直政編以降は評価がかなり良くなったし、やや下位の『いだてん』は「地味」で概ね皆の評価は一致するだろう。
しかしながら、『青天を衝け』に関しては、中盤以降ネット上で上がった評価に反して、私は最後まであまり好きになれなかった。
前半は栄一パートの評価が低いのに対して、慶喜公(というか幕府)パートは面白いという感想で、私も完全に共感していた。
しかしその後、栄一が慶喜公に仕えるようになり、両者が合流して以降は、ネット上での評価が鰻登りになる一方で、私の感想はあまり変わることはなかった。
たしかに、渋沢栄一が村で色恋沙汰を繰り広げていた頃よりはマシにはなったものの、幕府中枢の政治劇に比べれば、全くつまらないと感じていたからだ。
結局、その感覚が消えないまま、『青天を衝け』を見終えることになった。
なぜ、私は『青天を衝け』を好きになれなかったのか。
今まで上手く言語化することが出来なかったのだが、『鎌倉殿の13人』と比較することで、その感覚をハッキリと把握できた。
要するに私は、渋沢栄一をどこまでも「お綺麗」に描いているところが嫌だったのだろう。
例えば『真田丸』の真田信繁にしろ、『鎌倉殿の13人』の北条義時にしろ、当然のことながら主人公らしく、ある程度は清廉潔白な人間として描かれている。
その一方で、仕えた主である豊臣秀吉や源頼朝の非道な行為を呑み込み、忠義を貫き続ける姿勢も描かれていた。
『青天を衝け』にはその「負の側面」がほとんど無いのだ。
横浜焼き討ちは未遂で終わっている、慶喜に仕えてからも、討幕派との戦いはほぼ描かれず、鳥羽伏見の戦いで慶喜が家臣を逃亡した事も美化される。
明治維新後、政府にあっては「日本国を良くする為に、財政に疎い大久保利通と対立」し、財界の領袖となる程の大金持ちとなりながらも、語られるのは「弱者を顧みない東京都議会や岩崎弥太郎との対立」や「孤児院への寄付」のような、お綺麗な金持ち描写のみ。
そんな訳がないだろう。
旧幕臣ながら新政府で要職に就くために、政敵を貶めなかった?
財界を牽引する程の大資本家になりながら、清廉潔白な手しか使わなかったと?
ああ、つまらない。
要するに、『青天を衝け』の監督・脚本家は、渋沢栄一を現代人が無邪気に肯定できるような価値観の人物としてしか描いてくれなかった。
だが、それは、大河ドラマにおいて我々が見たい主人公像ではないのである。
こういう事を言うと馬鹿な人間が、「じゃあ、北条義時は、蛮族みたいに人を殺しまくる鎌倉武士にしたら良いんだな?」と言ってくるわけだが、当然そういう話ではない。
要はバランスの問題なのだ。
現代人である我々が感情移入できる範囲で、我々の生きる現代とは違う価値観と信条で生きる歴史上の人物の生涯を見せてくれる。
それこそが、大河ドラマの醍醐味と言えよう。
『青天を衝け』は舞台が近代だった事もあり、それに失敗した。
あまりにも、現代に寄り過ぎた視点に終始してしまったわけだ。
そのバランスが最も取れている大河ドラマこそが、『真田丸』であり、『鎌倉殿の13人』なのである。
三谷幸喜の脚本はなぜこんなにも面白いのに、本人がテレビで見せるギャグやトークはクソつまらないのか、極めて疑問だ。
ニュースキャスターの司会を今すぐ降板して欲しい。