んん~~~~~……。
物足りねえ~~~~~~~。
100点満点中、75点。
※以下、ネタバレ注意
子供の頃、両親が聾啞者の友達がいて、その関係で聾唖者をテーマにしたミニシアターなどを何度か観た経験がある。
本作もそれらの作品と似たような印象を受けた。
それなりに綺麗にまとまってはいるんだけれど、いま一つ突き抜けるものがないんだよね。
合唱を舞台にした映画の最大の見せ場といえば、当然のことながらコンサート本番で、本作もそこがクライマックスだったんだろうけど、ど~~~~~にも弱い。
いや、聾啞者の景色を再現するために、急に音を消し去る演出の工夫は分かる。分かるんだけれども、もうちょっと感動的にできなかったかなあ。
音の無い世界の中、お父さんが周囲の反応を見ることで、娘の特別な才能を実感する場面のはずなのに、肝心のその観客の表情にあんまり胸打たれるものが無かったのよねえ。
所詮は学校の発表会に過ぎないから、あんまり感激している観客を描くとわざとらしくなってしまうという判断なのかもしれないけれど、そのリアリティ優先の判断のせいで、せっかくの無音演出が機能し損なっていたように思う。
もうそこは思い切って大天才設定にしちゃってさ、これでもかとばかり周囲が感動してるところを見せた方が良かったのではなかろうか。
そもそも、根本的なことを言うとですね、劇中歌がそんなに良くなかったよね。
もちょっとこう、聞くだけで泣けてくるような歌だったら、無音世界への突入も映えたかもしれない。
んでもって、もう一つの見せ場である、音大の入学試験。
これがまた、いただけない。
いやだって、家族の入場は禁止と言われてるのに勝手に入って来てるわけでしょ。
その時点で他の参加者と公平じゃなくなってるのよね。
家族と、さらに恩師がその場にいることで緊張が解けるかもしれない。
目前に大切な人々がいることで、歌に情感が乗るかもしれない。
まったくフェアじゃないよね、こんなの。
も一つ言うと、歌の最中に手話を使ってるのがなあ……。
現代のファッキンアメリカについて多少なりとも聞きかじっている人なら、誰でも抱く疑いだと思う。
「この試験官たち、主人公が聾唖者の娘だから優遇したのでは?」、と。
疑い過ぎか?
いやー、でもやっぱ思うよね、どうも。
普通の発表会ならともかく、入学試験の中で、他の受験生と全く異なる条件で戦わせるのは、どう考えても良くないよ。
それと、最後に気になったのが、主人公家族の問題の着陸のさせ方。
「歌に乗せたダイジェストで特に描写もなく周囲と打ち解けてるし、健常者の船員も雇ってます」って、そりゃあんまりでしょう。
散々、「周囲との関係に踏み込めず、健常者の娘に頼り切りの家族」の問題を描いておいて、そこの解決を描かないって、片手落ちにも程がある。
結局、この作品自体が「内向き」で終わっていて、家族が抱えていた課題に向き合えていなかった。
いっそ、彼氏の存在は省いてしまって、主人公が先生から歌のレッスンを受ける一方で、家族が周囲との関わりに踏み込んでいく方に尺を割いた方が、良い映画になったのではなかろうか。
とまあ、散々文句を言ってしまったが、そこまで悪い映画というわけではない。
冒頭で書いたように、何の前知識も無く見ていれば、「そこそこ綺麗にまとまってる映画」で終わっていたとは思うのだが、『アカデミー作品賞受賞作』だと知った上で見ると、どうしてもね……。
よっぱど弾が無かったのかハリウッドよ。
あと、ひとの国のことは言えないけど、アメリカ政府カス過ぎるな。
海上監視員を漁師たちの自費で乗せろというのもそうだが、ただでさえ生活かつかつの聴覚障害者の漁師に自費で通訳を雇えとか、ポリコレ全盛のこの時代に許されるのか?
どう考えても、政府が支援すべきでしょうよ。