最初に書いておくと、私は非喫煙者だ。家族にも煙草を吸っている人間はいない。
飲食店の経営とも縁もゆかりもないから、全面禁煙となろうが直接的には何の損失もない。
それどころか、副流煙の被害から逃れられるわけで、快適に外食できることになるだろう。
しかし、それでも私は全面禁煙に反対し、推進派を嫌悪する。
禁煙の強制に賛同する輩と、二次元の表現規制を推進する連中の思想には通底するものがあると思えてならないからだ。
無論、喫煙の場合は科学的に証明されている実害があるのは確かであり、その点においては漫画やアニメに対する攻撃とは全く違う。
だが、その乱暴な手口や、狭隘で極端な排除の精神は彼らに共通するものだ。
そもそも、飲食店を全面禁煙にする必要などない。
我々非喫煙者には「喫煙可能、あるいは分煙制の店」に行かないという自由がある。
「たまたま入った店が禁煙でなかったらどうするのだ」という主張をする人間もいるかもしれないが、それを避けるためなら店の前に「喫煙可・禁煙」といった看板を掲げさせるだけの取り決めで済むはずだ。
それにも関わらず、彼らは全面禁煙などという過激で極端な政策に賛同する。
いっそあからさまなくらいに透けて見えるであろう。「自分の気に入らない人種を徹底的に排除してやろう」というおぞましい思想が。
例えば、「青少年の目に触れる『恐れ』があるから、現在18禁として区分されている創作物は未成年も入る場所では全面的に禁止します。レンタルDVD屋等の18禁コーナーの禁止はもちろん、コンビニでの成年向けの本も完全撤去、当然コミケでの販売も禁止します」などと政府が言い出したら貴方はどう感じるだろうか?
飲食店での全面禁煙もそれと変わらない。
だというのに、表現規制に対しては烈火の如く怒りだす人々でも、禁煙ファシズムに対しては一転して規制派になる。
それは彼らが喫煙者ではないからであり、己の利益は侵害されないと思っているからだ。
だが、我々のその保身こそがまさに全体主義の始まりなのだ。
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
乱暴な手法で嗜好品を規制しようとする社会は、必ず次の標的へと牙を剥く。
このまま全面禁煙法案が通り、喫煙者に対する迫害が許されるような社会に我が国が成り果てているとすれば、漫画やアニメのような表現物が理不尽に規制される日も近いことだろう。